2018-03-17

神輿を担ぐだけが祭りじゃない。その先の日常を見つめる店ー三ツ矢酒店【PR】

モノが増え、豊かになり、そして”安売り”がやってきた

―モノが増えて、安売りをするようになって…その頃から、何でも屋さんからお酒専門に?

専門店化する前は、普通の酒屋さんとして、酒、ビール、食品がメインだったんだけど、東京西部の公園を中心に売店を出して、ジュースの販売を主としてやった時もあるんだよ。年間に何万箱って売ったよ。レジャーブームでゴールデンウイークなんかには、みんな遊びに行き始めた頃だよね。まだコンビニもないから、そういう所で売店出すとみんな寄ってたかって買ってくれるわけ。それから、コカ・コーラっていうのはすごい革命というか、日本人に衝撃だったね。それまではオレンジジュースやサイダーだったけど、コカ・コーラが出てきてからは、ガタっと変わった。モノが豊富になってきて競争がはじまったわけだよね。だんだん儲からなくなってきて、我々も手を引いたわけ。

それから何年か経ってから、地酒専門になったんだよな。モノがうんと溢れてきて、みんな変わったものを求めるように生活にゆとりができてね。それからだよね、地酒専門に動き出したのは。その頃たまたま私が腰を痛めて、本読んでいて「なんだ地酒って?」と見つけて調べはじめてから。『しゃも重』っていう、あそこの店主が当時、「おい、かっちゃん、こういう酒がこれから売れるぞ!」って言いに来てくれたり、問屋の詳しい人が教えてくれたり。それがはじまり。我々も地方に行って酒を求めるなんて思いもしなかったからさ。地元の問屋さんから有名なブランドばっかり買ってたからね。それと日本酒も、その頃からあんまし飲まれなくなってきたんだ、みんないろんなものを飲み出して。ビールは箱買いっていう人がずいぶんいたよね、景気がよくなってきたから。1軒の家が1ケース24本の木箱を箱買いするほど飲んでた。サラリーマンなんかもさ、寄り道しないで家帰ってちゃんとご飯食べてたからね。


店内に所狭しと並ぶ、全国各地の地酒。地酒については、飲み屋さんや問屋さんから詳しく教わった。

“賭け”だった地酒専門店への転換

―日本酒が地酒ブームと言われるのはここ10~20年なんでしょうか。

我々はもう40年くらいやってるけどね、地酒を。早かった。まだ新幹線があちこち通る前から、私の兄貴は地方の蔵に行ってたね。今と違って、地方の蔵元はみんな辺鄙(へんぴ)な所にあったからね、行くのが大変だったの。交通機関も発達してないから。でもうちの兄貴は旅が好きで、時刻表をよく枕元に置いて寝てたから。趣味と実益兼ねて蔵元に行ってたよね(笑)。

―お兄さんと一緒にお店をされてたんですね。

そうそう。最初、地酒っていうのをうちの兄貴は馬鹿にしてたよね。馬鹿にするというか、「駄物(だもの)」と言って、灘で造ってる酒が一番だと思ってたよね。有名なブランドを専門に我々も売ってたからね。でもいつからかみんな、地方に旅行に行ったり、地元に帰ったりして「あの酒がうまかった」と言う時代になってきて。

―それはみんなが旅行、レジャーに行けるようになったことが関係あるのかもしれないですね。

そう、関係あるかもしれない。生活も食べ物もだんだん変わってきて、ふだん食べてるものとお酒が合わなくなってきたりして。なんかね、景気が悪い時に甘い酒が流行るんだって。で、景気がいいと辛い酒が流行る。昔、江戸時代からそうらしいよ。蔵元の人が言ってた。

―じゃあ今は辛口が?

今は辛口がまた動き出したんじゃないかな。ただまぁ、今は舌も微妙に変化してるわけだよ。だから最初は専門用語でいうと「淡麗辛口」という酒が流行ったんだけど、そのお酒が流行ってる頃に「今の若い人たちが昔と違うものを食べはじめたから、お酒の嗜好も変わってくるよ」って言った国税局のお酒の鑑定官の人がいたんだけど、その通りになったね。

―鑑定官ってどういう仕事ですか?

あのね、お酒の良し悪しを利き分けるの。国税局にそういう仕事があるの。等級ではなくて、酒の「出来、不出来」を判断するのかな。だから今も、5月になると新酒鑑評会ていうのがあって、酒の優劣を決めてるよ。

―見たことあります。白地に青いうずまき模様がついたお猪口が基本なんですよね。器によって味も変わるという。

そうそう、これ、「蛇の目」ね。これを使って酒の色も見るわけ。もっとでっかいけどね、本物は。湯呑よりもっとでっかい。うちの息子(店舗責任者を務めている鴨志田知史さん)も酒の質を鑑定する委員をやってたんだけど、100種類くらい試すんだって。舌がしびれてくるから、間で昆布茶とかで口直しするんだよね。でも、そういう風にやってきてるから、うちもそれなりの酒をそろえて、商売成り立つんでね。

―早い段階から、地酒に目を付けて専門店化してきたことが、結果的に正解だったのですね。

そう、うちも転換期があったわけよ。ジュースをいっぱい売っていて、それがダメになってきたからどうしよう、って。けっこうな売上があったけど、それを思い切って転換したの、地酒の方に。普通のお酒じゃダメだ、どこでも同じもの売ってるから価格競争になっちゃうと。

―少し前に『獺祭』が「適正価格で買ってください」という企業広告を出して話題になっていました。定価よりずっと高値で売ろうとする人もいますが。

本当は『酒類販売免許』というのがあるんだけど、そういうものを無視して、インターネットでちょっと入手困難な酒を高く売る人がいるよね。例えばうちのようなところで買ったお酒を高く売ったりすることもできちゃうから、今は。

―彼らのしていることは、要は単なる「お金儲け」ですよね。「お金儲け」ではなく、価値をわかってくれるお店に卸したいという蔵元さんも多いと思います。三ツ矢さんは、その価値を理解しているからこそ、いろんな地酒を扱えるんでしょうね。

『獺祭』さんなんかも、一番最初、まだ売れない頃に社長さんがうちに来て、「お願いします」なんて言われた。17、8年前かな。俺なんかよく文句言ってた。「こんな難しい字じゃ売れないよ!ルビ振れ!」って(笑) 。もう今じゃ「だっさい」ってみんな読めるね。

―地酒を始めた当初、お客さんの反応はどうでしたか?

意外にもお客さんはもう知ってたよね。「こんな酒がある!あんな酒がある!」って。酒屋の前に、もう飲み屋さんで気の利いた人たちが、地酒を動き出させてたから。だからその流れにも乗ったよね。自然とそういう新しいものを求める時代になっていったんだな。飽食の時代というか。もう一通り飲んだけど、なんかもっと美味しいものがあるんじゃないかって。そういう時代とともに商売も動き出したんだろうね。

―安さなのか、より高い質なのか、二極化していったんですね。

そう。質、クオリティ、地酒のその良さがマッチしたんだろうな。まぁでも、食文化の変遷と共にある気がするな。ワインも昔は日本で売れなかったけど、今は普通に家庭で飲むようになったからね。それも食卓がどんどん変わってきたからだね。


日本酒の鑑評にも用いられる、伝統的な「蛇の目お猪口」。白地に藍色のうずまき模様が特徴。酒の味だけでなく、色もみる。

【NEXT:「会話に飢えている」最近の人々】

ページ: 1 2 3 4

関連記事