2018-03-13

自転車屋稼業101年。変わらないこと、受け継がれていくことの尊さとー和田サイクル【PR】

これまで西荻窪の中でも比較的「新しい」事業者の方を紹介してきたのかなと思います。だって今日ご紹介するのは、1917(大正6)年創業、つまり今年でなんと創業から101年を迎える『和田サイクル』なのですから。店主の和田良夫さんは、100年以上続く稼業を支えている、といった気負いを感じさせない、飄々としたお人柄。そしてただシンプルに「好きだからやる」という芯のある部分が魅力的な方でした。現在の『和田サイクル』は小径車の専門店として、愛好家の間で全国的にも有名である一方、西荻窪の人にとっては、地元の自転車屋さんでもあります。101年間、同じ場所で営業してきた『和田サイクル』さんに、原っぱ公園が中島飛行機の工場だった時代から、現在に至るまでのお話を伺いました。そして最後に話は思わぬ方向に…!?ぜひ最後までお読みください!

取材・構成・文:小林真梨子
撮影:坂田誠


おすすめはBRONPTON!「小径車専門店」和田サイクル

ー自転車が普及していなかった時代から、だんだんと生活に浸透していって、今度は自動車が普及して……と時代が目まぐるしく変わっていく中で、代替わりをしながら、一つのものを100年商いつづけていらっしゃるのは、本当にすごいことですよね。

父親の時代にはオートバイをやってたし、車もやってたんだよ、軽自動車だけどね。自転車が売れない時代もあったからね。今は逆にオートバイが売れないけどね(笑)

ー今は小径車、いわゆる小さい車輪のタイプの自転車のお取り扱いがメインですが、変わったきっかけには、やはり時代やニーズの変化があったのでしょうか?

もう20年以上前かな、まだ流行らないうちから、小さい自転車が好きだったから。折りたたみ自転車、これは面白いなと思ってはじめたのが最初。置き場所に困らないじゃん!部屋に置いておけば盗まれないし。簡単に電車にも乗せられるから、みんな遠くに行ってますよ。遠くまで行って、好きなところだけ走ってさ。

ーそういう楽しみ方もできるんですね。こういった小径車の方が遠くまで行けるというのは少し意外な感じもします。

ロードレース用の大きい自転車でももちろん行けるんだけど、とにかく荷物が大きくなっちゃうんだよね。

ー小径車はいつ頃から普及するようになったんですか?

『BD1』(*1)というモデルが登場したあたりから折りたたみ自転車がだんだん増えて来て、それから『BROMPTON(以下、ブロンプトン)』(*2)が入ってきて。今はブロンプトンが一番よく売れる。その小ささ、すごくコンパクト。値段は少し高いけど、毎日売れるよ。今日も何台か受け取りに来ると思うよ。

*1『BD1』:世界的には『Birdy』の名で知られるドイツの『r&m』社が製造するフォールディングバイク(折りたたみ自転車)。当初、日本では商標登録の関係で『Birdy』の名称が使用できず、『BD1』と名付けられたが、2015年以降は国内でも『Birdy』の名前が採用されている。
*2『BROMPTON』:1986年にアンドリュー・リッチーがイギリス・ロンドンで製造をはじめたフォールディングバイク。手早く、そして小さく折りたためること、重い荷物も運搬できること、専用オプションパーツの種類の豊富さなどが特徴。他の自転車メーカーが中国や台湾での製造に移行する一方、ブロンプトンは現在もロンドンで製造を続けている。


ブロンプトンは折りたたむとこの大きさに……!

ーすごいですね!ブロンプトンの人気の理由は何ですか?

小さい割にちゃんと走るし、荷物を乗っけられるし、専用のバッグもたくさん種類があって簡単に取りつけられるんですよ。他のだとなかなかね、難しいかな。荷物は背負わなきゃならなかったりね。

ーそれはすごく便利ですね……!

ブロンプトンはパーツも高いけどね。あの専用バッグも2万4千円。ママチャリが買えちゃうね(笑)

ーあとでブロンプトンをたたむところを見せてもらえますか?

もちろん、10秒くらいでたためるよ。

ー本当ですか!?それだけ簡単なら、乗らない時はたたんで家の中に置いておいて、盗まれる心配がないというのは本当にいいですね。

家の中に置いておけば、傷まないしね。だからブロンプトンを20年くらい通勤に使ってる人もいますよ。鉄だから保つんですよ。アルミだと劣化するんだけど。

ーだからそのくらいのお値段になる、価値があるんですね。

ブロンプトン愛好家の集まりもあるくらい。「ブロンプトンインパレス」って言って皇居でやってたんだけど、あまりにも人数が増えちゃって、使用許可が出なくなっちゃった。(ブロンプトンで走るわけじゃなくて)ただ集まるだけだったんだけどね。

ーどのくらいの人が集まったんですか?

多い時は100台超えてたからね。ブロンプトンだけだよ?(笑)


20年以上前にロンドンで購入したという和田さんのブロンプトン。犬専用シートベルト付きキャリーは愛犬サリーちゃんの特等席。

100年毎日パンク修理!「街の自転車屋さん」和田サイクル

ー金沢に住んでいる知人が『SURLY(サーリー)』(*3)を購入して、次はブロンプトンを狙ってるというんですが、その人が和田サイクルさんのことを知っていたんですよ……!

*3『SURLY』:1998年創業のアメリカ・ミネアポリスの自転車メーカー。競技のためではなく、ただ単に自転車に乗ることが好きな人、パーツを交換してカスタマイズすることが好きな人向けに作られており、日本にもファンが多い。

本当に!?(笑)

ー「西荻窪と言えば、和田サイクルだよね」って。「行ってみたら?」って言われたので「行ったことあるよ!」って言い返したんですけど(笑)。全国的に有名な「小径車専門店」と、西荻の「地元の自転車さん」、二つの側面があるんですね。近くに住んでいる者からすると「あ、和田サイクルさんね」みたいな、とても身近な存在ですが……。

一応ママチャリから全部やってるから。ママチャリは商品としては置いてはないけど、パンク修理は毎日やってるよ!やっぱりそれはやってあげないと。

ー住民からするとなくてはならない存在ですよね。

まあね、パンク修理とか、一般車の修理をやらないと(街の人が)困っちゃうよね。自転車屋なら近くにもたくさんあるけれど。

ーそうなると100年の歴史が信頼を生んでいるのでしょうか?

そんなことみんな知らないよ(笑)

ー100年間この場所で営業してきて、扱う商品など変わった部分もあると思いますが、変わらない部分があるとしたら、それは何だと思いますか?

一般車の修理は変わらないよ(笑)。パンク修理は同じようにやってる。

ー100年変わらず!


取材した日も、開店早々パンク修理のお客様が来店。慣れた手つきで作業する和田さん。この光景が100年の間、繰り返されている。どんなに自転車そのものの性能がよくなっても、タイヤはパンクから免れないよう。

 

中島飛行機から富士精密工業、日産自動車、そして原っぱ公園に変われども、和田サイクルはここにあり

ー創業当時からこちらで営業していたんですか?

ちょっと移転したりしているけど、ずっとここだね。俺が聞いたのは、伊勢丹のちょっとこっちになるかな、中島飛行機のすぐ前で営業していたと聞いているけど。

ー今よりもっと原っぱ公園寄りだったんですね。ちなみに現在で何代目になるんですか?

一応三代目。俺のじいちゃんが吉祥寺のヤマザキって自転車屋で修行をして、こっちにお店を出したのがはじまりって聞いてるよ。それから、叔父さんがやってた時期が少しあったんだけど、父親より先に出征して戦死しちゃったから。それで戦後は父親が後を継いだんだけど…父親は戦前、中島飛行機に勤めていたんだよ。

ーそうなんですか……!それでは、お父様は中島飛行機で零戦のエンジンを作っていたんですね。

そう、中島飛行機青年学校を卒業してそのまま中島飛行機で働いてたって聞いてる。

ーこれは、何でしょう?登記ですか?

事業開始の時期、大正6年6月29日。この和田佐吉ってのが俺の叔父さんなんだけどね。


1942(昭和17)年に、叔父の佐吉さんが取得した企業許可令(*4)には創業年月日が記されている。

*4企業許可令:戦時中の統制経済の下、非軍需産業の中業企業は1942(昭和16)年12月の「企業許可令」によって許可制に。さらに翌1942(昭和17)年5月の「企業整備令」によって強引に統廃合が進められることとなる。商売も自由にはできなかった次代、叔父の和田佐吉さんがお店を守ろうと奔走した様子が伺える貴重な資料だ。

ーすごい!こうやってちゃんと残っているんですね!

こうやって叔父が戦時中の昭和17年に企業許可令をもらったんだけど、戦死しちゃったので、父親がその後を継いで…。これが昔の家。戦前か戦後か時代は分からないけど、家の前を通っているのが青梅街道だよ。

ー今ほど車幅も広くないし、道路も舗装されていない感じですね。

隣の家(うち)は同じように残ってるよ。今は誰も住んでいないけど(笑)


昔の和田サイクル(年代不明)。目の前を通るのは青梅街道、手前の塀は中島飛行機のものだろうか、富士精密工業のものだろうか。

ー当たり前かもしれませんが、原っぱ公園の周辺もかなり変わりましたね。

変わった、全部日産の工場だったもん。日産の社員は自転車通勤の人も多かったんだよね。だからその修理とかやってたからさ。朝早く、8時とかからお店を開けておいて、自転車を預かって、修理して、帰りには乗って帰れるようにしておいて。

ーそれは合理的ですね!その後、工場がなくなって街の雰囲気は変わりましたか?

雰囲気は良くなったよね(笑)。だって、周りは高い塀で囲まれていて、中の様子は見えなかったしさ。

【NEXT:原っぱ公園は西荻窪なのか問題、そして祭囃子の響く街を守るために】

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